作家コメント
私を点とすると、移動した距離が線になり、目的地は面になる。
去年の8月、立秋の前日、鎌倉・鶴岡八幡宮の夏越祭(夏の災いを祓い、芽の輪くぐりや舞殿で巫女により夏越舞が奉納される)を体感した。
私はとても長い間、「ちのわくぐり」を「地の輪くぐり」と思い込んでいた。土地のエネルギーを体に循環させるための祭りだと・・・。「芽の輪くぐり」が正しいと知ったのは今から10年程前、光(ライト)を立体の中に入れた作品を創っていた頃、習作として「地の輪くぐり」と題し作品の写真を笠間の恩師に見てもらったから。その時、先生は言った。「文字はひとつのヒント。人それぞれの解釈があってイメージが生まれるのだから、英ちゃんは地の輪くぐりが創りたかったんだね」と。
そう、この日から、笠間で陶器を勉強していた頃、笠間稲荷でこの芽の輪くぐりを見た時よりも、ずーっとずーっとこの題を表す作品が創りたくなっていた。
真夏の太陽が、頭上をギラギラと照らす中、芽の輪を設置している人々の作業に見入る。足元には、はっきりと・くっきりと、だ円の影がある。そしてしきびやささのゆれる葉の影、暑さを忘れさせる段葛を吹き通る風、そして蝉の声。時間がたつのを忘れていた。そして、そうこうしている間に時間を坂のぼった感じで、グルグルとたての方向へ移動を始め、まるでタイム・トラベルをしている様。
奈良時代創建と伝わる鎌倉最古の寺、杉本寺で苔むした石段の前に立ち、真白な布地に、奉納、十一面杉本観音の文字が書かれた旗が、風にゆれる姿を目にする頃には、自分がどこの時代にいるのか、混沌としていた感がある。
竹寺、報国寺の美しい孟宗竹は、圧巻の態で迫ってきた。竹林に差し込む光、ひんやりとした空気、色々な種類の蝉の声、飽きることのない時間が、確かに、そこにあった。
見えることはたくさんある。だが、それ以上に視えないことがもっとある気がしてならない。改めて、そう思えた大切な一日の出来事。
目に映るもののむこうがわ・むこうにみえる「心の視野」が拡大された様な一日。
そうだ、「透視線的、空間が創りたい。表現したい。」と、心から強く思えた私がいた。 |